2014年02月14日

オトンの仕事

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家のインターネットを解約して、タブレット一本にしたのはいいのだが、
どーもタブレットではブログが書きづらいことに今更気づいておりますふらふら

というわけで、1か月以上もブログを放置
2014年に入って2度目の更新です

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先日、仕事で西伊豆町のカツオ節工場にお邪魔しました。
私はエコツーリズムやらグリーン・ツーリズムやらの
いわゆる「着地型観光」を推進する仕事をしているので、
地域資源
を生かしたプログラムの視察ということでの訪問でした。

実はこの「カツオ節」は私にとって故郷の匂いなのです。

私の育った愛媛県伊予市には大規模なカツオ節工場がいくつかあります。
ヤマキ、マルトモなどの大手食品会社の本社があるためです。
そしてその昔、ヤマキのカツオ節工場で1カ月アルバイトもしたことがあるという…

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でも、西伊豆のカネサ鰹節商店さんは私の知るカツオ節工場とは全く違いました。

オートメーション化されたものとは違い、手作業が多い!
身おろし、焙乾方法、骨抜きなど、製造構造はおよそ30にも及び、
そのほとんどが手作業なんだとかどんっ(衝撃)

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社長さんが丁寧に説明してくださったですが、そこには仕事に対する誇りや
地元への愛着がとても感じられました。

その姿を見て思い出したのが、本日のタイトルオトンの仕事なのです。

伊豆は、高知(土佐)・鹿児島(薩摩)に並ぶカツオ節の産地なんだとかあせあせ(飛び散る汗)
昔はカツオ漁が盛んで、カツオ節工場もたくさんありましたが、
今はカツオ漁もやらなくなって、焼津から仕入れているそう。

驚くことに、伊豆だけでなく土佐、薩摩ですら、
原料のほとんどを焼津に頼っているという現状。

そして今、西伊豆地区に残っているカツオ節工場はたったの3軒

カネサの社長さんは潮カツオなどの商品開発をしたり、
視察やツアーのお客様を受け入れたりして、
積極的に西伊豆の潮カツオをPRされています。

そういや日本テレビ系「青空レストラン」で宮川大輔が来て
「うまっ!!」と言っていました(笑)

それだけに後継者がいない、ということがとても残念。

これはどこの誰にも言えることなのですが・・・

自分自身が誇りと愛着を持って仕事をするのと、後継者を育てるのは、
必ずもイコールではないというか、むしろ反比例というか・・・

工場訪問が終わって、参加者同士で振り返りの時間を持ちましたが、
その時にも「なんで後継者がいないのか?」という話になりました。

・儲からないから
・キツイ仕事だから
   という意見が大半でした。

やっぱり親は親、子どもは子どもだから
子どもがどこで何の仕事をしようが自由なのですけど、
自営業で伝統的な仕事は続いていってほしいような気もします。

そんな話をしながら、ふと自分のオトンのことを思い出しました。

私のオトンは自営業というか、親戚のオジサンたちと一緒に
小さな小さな小さな冷凍食品工場で働いていました。
15年くらい前に廃業しちゃったのですが。

働いているオバちゃんたちも親戚や近所の人がほとんどだったので、
私は小さいころからよく工場に出入りしてかわいがってもらいました。

オカンはオカンで別のところで働いていたので、
保育園のお迎えはいつもオトンでした。
気が弱くて人見知りな私は、居残り保育組に馴染めずに
窓の向こうにオトンの姿が見えると、嬉しくて駆け寄っていた記憶があります。

あっ、話が逸れたふらふら

親が普通のサラリーマンの場合、働いている姿を見ることはなかなかできないと思います。
でも私は保育園、小学校、中学校、高校とずーっとオトンの働く姿を見てきました。
小中学校の夏休みや冬休みにはイトコと一緒にお手伝いをしたりもしました。
冬なんて手足がかじかんで、霜焼けぴーぴーでしたもうやだ〜(悲しい顔)

家ではダラダラノロノロであんまり尊敬できたオトンではなかったですが、
職場ではみんなに指示を出したり笑わせたり、何だかリーダーシップを発揮していました手(チョキ)

昔はサラリーマンをしていたというオトン。
私はスーツ姿を一度も見たことはなかったけど、
長靴はいて前掛けして帽子かぶって、海辺の小汚い工場で働く姿を見ていたから、
それが働くオトンの姿だと思っていました。

そしてその姿を恥ずかしいとは一度も思ったことはなく、
魚臭かったり、ピーマン臭かったりしましたが、
それでもカッコいいと思っていたのでした。

小学校3年生のころだったと思います。
作文で「お父さんの仕事」について書く授業がありました。

私はオトンの仕事をうまく説明できずに
「冷凍ロールキャベツや肉詰めピーマンを作ったりしてます」と書きました。

そしたら担任の先生にうまい具合に書き換えられていて、
すごく傷ついた思い出がありますもうやだ〜(悲しい顔)
何と書かれていたかは忘れてしまったのですが・・・
でも私は私なりにオトンの仕事を理解し、働くオトンを尊敬していたのだと思います。

あれから20数年が経ち、紆余曲折ありましたが、
それでも心っからオトンを軽蔑しきれないのは、
働く姿を見ていたからだと思うのです。

あぁ、何が言いたいかと言うと・・・

どの地域も後継者不足で悩みは尽きないのです。
川根本町だってお茶農家は高齢化し、後継者がいるお宅は少ないです。

でも自分の作るお茶が“日本一だ”と思って丹精込めて
いいお茶を作っているオジサンたちを知っています。

でもでも、そのオジサンたちでさえ自分の子どもたちには継がせたいと
思っていない(継いでくれたらいいなぁくらいには思っているかもしれないけど)のが現状。

川根の場合でいうと、幼い頃からみんなお茶時期にはお手伝いをします。
大人になった今でもお茶時期には
会社を休んでお手伝いしに帰ってくる若者もいます。

でも本業でやりたいと後を継ぐ人はいないんだなぁ・・・
やっぱりお茶では食っていけないから? 農作業がキツイから? なのかなぁ目

親の背中をきちんと見て育っていたとしても、継がないのだろうか?
外の世界に憧れて出て行ってしまうのだろうか?

例えば歌舞伎などの伝統芸能は世襲制ですよね。
嫌でもなんでも子どものころから仕込まれて、その道で生きるしかない。
厳しい芸の世界ですが、この人たちはある程度ステータスもあってお金もある。
だから続くのか? 

農家や漁師、酪農家など、いわゆる一次産業ってやつは
どうしてこうも後継者に悩まされるのか・・・あせあせ(飛び散る汗)

今やっている人が止めちゃったら
その文化や仕事自体がこの世から消えてなくなる。
という例はいくつもあると思います。

西伊豆のカツオ節工場もまさにそうでした。
それは自然淘汰、仕方のないことなのでしょうか?

カツオ節工場を見学させてもらって、その丁寧さ・貴重さに感動するとともに
後継者がいなくてなくなってしまうかもしれないという現実を知り、
いろいろと考え込んでしまったのでした2

自分が後継者の立場だったらどうだろう?
風来坊の私は「一つの世界に閉じ込められるのは嫌だー!」とか言って
逃げ出していたかもしれないなぁー(長音記号2)

小学校の頃、オトンと一緒にプールにいって
オトンの背中にしがみついて泳いでいたのを思い出しました。
オトンの広い背中が好きでした。

人の魅力というのは、口でアーダコーダ言うのではなく
働く・動く姿で見せるものだと思います。

私は往々にして口が出過ぎるのですが
それでも自分の姿を見て評価してもらうしかないと思っている部分もあります。

今にして思えば、その原点はオトンの働く姿にあるのかもしれないなぁ。

あっ、オトンは今も元気で暮らしています(笑)
だいぶヨレヨレになっちゃったけど、
今は主夫として立派に働いてくれています。

それにしても遺伝というのは怖いもので、
外で見え張って、家でグータラする、いわゆる外弁慶的な性格は
どこまでもオトンに似ちゃったのだなぁ・・・
風来坊なのは母方の祖父らしいですが。

こんなことをブログで書いていることをオトンに知られたら・・・
恐ろしや恐ろしや〜〜がく〜(落胆した顔)

そういえば・・・オカンの働く姿はほとんど見たことないなぁー(長音記号2)


さて長くなりましたが、大雪警報も出たことだし、
今日は温かくして早く寝ることにしよー眠い(睡眠) そーしよーいい気分(温泉)




posted by かつこ at 08:47| 静岡 ☀| Comment(0) | TrackBack(0) | その他、徒然 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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